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Archive for the ‘社会人で博士号を取ろう’ Category

3/22 無事に学位授与式が終了しました.
当日は13時開始なのですが,博士号授与者はドクターガウンを着用して授与式に出席する関係で1時間前に控え室に集合しました.
控え室ではあらかじめ連絡していたガウンと帽子のサイズ確認をしたのですが,私はすこし袖が短かったので一つ大きいサイズに変更してもらいました.
このドクターガウン,結構分厚い生地で,かつ肩から背中にたらすフードも大きいので思ったよりも重たかったでした.
色はスクールカラーに近い紫.袖にはベルベットの3本ラインが入り,前合わせも黒のベルベット.フードの縁は工学博士の色になっている橙色,帽子の房飾りは金色という派手なものです.このあたり,スクールカラー以外はアメリカのアカデミックガウンの規定に沿っています.
 
式自体は工学部,文化情報学部の大学2学部と文化情報学研究科,工学研究科,生命医科学研究科の大学院3研究科合同で行われました.
(生命医科学は設立2年目なので学部卒業者はいない)
学部と修士は各学部・研究科の総代1名ずつが壇上で学長から学位記を受け取るのですが,博士は全員が順番に壇上に登って学位記を受け取ります.
式の始まる30分ほど前,開場してからその受け取り方のリハーサルを行いました.学士・修士はそれぞれの代表なので各学部・研究科の参列者も起立・着席をするので細かく指示を受けていましたが,博士は完全に個人で動くので,適当な説明でしたね.
22日の博士号授与者は文化情報学博士,工学博士の甲乙合わせて16名,文化情報学博士は2名でどちらも甲(課程)博士,工学博士は甲が8名,乙が6名(工学研究科だけでなく生命医科学研究科修了者も工学博士)でした.
定刻に少し遅れて式は始まりました.式次第はプロテスタントの礼拝形式に則ったもので,奏楽,讃美歌,聖書朗読・祈祷から始まりました.
その後は学位記授与.学部2つのあとは3つの研究科の修士.面白いことにこの3人の修士総代はみんな女性でした.
続いて博士号授与ですが,学長が一人一人学位記に書かれている内容を読み上げるので結構時間がかかります.
文化情報学博士2名,工学研究科知識工学専攻1名に続いて電気工学専攻が2名,左隣に座った人が電気工学専攻だった時に,ふと気がつきました,私は電気電子工学専攻だわ.
えっと,私の代から専攻名が電気工学専攻から電気電子工学専攻に代わったんですよね.でも,私の前までは電気工学専攻,つまり私より前に入学した人.ということは,私が少なくとも同着で電気電子工学専攻の1番目の博士号?
そんなことを考えていると工学研究科長に名前を呼ばれます.なるべく低いけどよく通りそうな声で返事をして壇上に登ります.
学長がA3サイズの大きな学位記を読み上げ始めましたが,途中の「…工学研究科電気電子工学専攻博士課程の後期課程を…」,電気電子工学専攻のところで本当に一瞬言いよどんでたのはちょっとおかしかったです.まぁ学長も直前までの学位記の専攻名と微妙に違うのが書いてあったらびっくりするよねぇ.
学長から学位記を受け取って握手して,さぁ壇から降りようとしたら,同じ研究室のM1が「XXさん,おめでとうございます~!」と….
私の前にも何人か同じようなことを言われて,人によっては大声で「ありがとう!」とか言ってたけどもさすがにこの年ではそれもはばかられるので,声のしたほうにガッツポーズだけしました.いや,ほんとは恥ずかしかったんだけどね.
私の次の人は機械工学専攻,ということは,半年or1年前に修了している同期生がいなければ私が電気電子工学専攻の博士第1号ということに…(実際に私が第1号だと教授から聞きました).
そのあとは特にすることも無く,時々讃美歌うたう為に立ち上がるだけでひたすら学長や総長の退屈な話を聞いていました.これから社会人になる卒業生の為の訓示なんてねぇ,とっくに社会人になってる身とすれば,いまさらって感じだし.
最後に壇上の教授陣が降りてきて,拍手で卒業生の退場を見送ってくれました.こういう場合でも当然博士号取得者が一番に退席します.
会場の体育館を出ると,在校生が自分達の先輩を見送るために列を成してましたが,そこを紫のアカデミックガウンを来た集団が歩いていく訳で…,いやぁいろんなことを言ってましたねぇ,曰く「なにあれ?かっこいい」,「ハリポタみたい~」はまだ良い方で,「うわ,変な格好」「コスプレか?」なんて失礼な連中もいました.
退場後もしばらくはガウンを貸してくれたので外で記念写真を取りました.顔を名前を隠してアップしておきますね.
で,研究室に帰っておめでとうコールしてくれたM1にお礼を言って,しばらくだべって帰ることに.
普通の卒業ならこれで大学との縁も切れてしまうのでしょうが,私の場合5月の末には大学で開かれる親会社との技術懇談会で講演しないといけないし,多分共同研究も続けることになるのでまた頻繁に大学に来ることになるでしょう.
 まぁ,それでもこの学位授与式が1つの区切りではあります.
 2年間,本当にありがとうございました.
 

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通知

3/4に全学の研究科長会議が行われたのは知ってました.

当日,17時に指導教授に電話した際に,
「もう決まりましたか?」と尋ねたら,
「まだまだや,今回は全学30通の論文を全部チェックするから,かなり遅くなるやろ.
前回の論文博士の20通でも,終わったのは19時半過ぎてたらしいしな」
との返事でした.
全学の研究科長が,全然専門でもない分野の博士論文を読むとは….
大変ですねぇ,ほんと.
そしてその2日後,3/6に大学から速達が届きました.
博士論文の審査に合格し,博士号授与を決定したとのことです.
ようやく正式に決定しました.
あとは,3/22の学位授与式に出席すれば2度目の大学生活も終わりです.
…3/22には,アカデミックガウンを着るそうです.この歳でコスプレ?

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今日,別件で指導教授にメールしたら,それの返事に
「博士論文審査は終了した. ドクターXX(私の名字)です」
と書いてあった.

午前中に,工学研究科の教授会(正式名称は違うみたいだけど)があって,それの結果.

まだ全学の学位総合審査があるけど,これは今日の結果を追認するだけらしいので,
実質的に今日で決定.
学位記を貰うのは3/22.
それまでに博士論文の正式提出を済ませておけば,晴れて博士(工学)となります.
長いような,短いような2回目の大学生活でした.
2年間で主著2本,副著4本 国際会議発表が2+7本でした.
論文が全部国際会議プロシーディングスなのは少し残念だけど,
それでもまぁまぁの業績じゃないかな.
業績の集計はまた後日にでも書きます.

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公聴会参加者は20名弱でした.
審査する教授が全部で5人と,私の所属する研究室の准教授・客員教授がそれぞれ1名.
学外の専門家として先に書いたN博士と,六ヶ所村の日本原子力研究開発機構から参加いただいたS博士.
会社からは5名(うち博士は3名),学生が数人.うちの研究室からは私の下のM2とB4が1名ずつ.
後は顔を知らない学生が2,3人.ちょっと老けた感じだったので,他の研究室の博士課程の学生が,公聴会と言うものを見に来たのかもしれません.
 
公聴会は定刻に,主査である指導教授の司会で始まりました.
司会と言っても,単に「XXさんの博士論文審査のための公聴会を始めます.まずは論文の概要を90分程度で発表してください.」
とだけ言われてすぐに席に座られたので,ちょっとあせってしまいましたが….
その後は,練習どおりに発表していきました.途中で指導教授に言われた「笑い」を取ることも忘れずに,順調に発表していました.
しかしながら,追加分や公聴会本番と言うことで少しゆっくりめに話していたせいか,
1時間経過したところで壁の時計を横目で確認すると,予定よりも1節分遅れていることがわかりました.
この1時間のところで,話の対象が変わることもあって水分補給を兼ねて一息入れるつもりだったのですが,そんな余裕は消し飛びましたね.
少し早口に切り替えて前半残りの1節を終わらせて,ほんの一口水を飲んだだけで一息入れることもせず後半に入りました.
後半もなるべく早口で話していたおかげで,発表は当初の予定通り100分丁度で終わることができました.
さすがに100分喋りとおした後は,少し息が上がってましたね.
で,発表の後は質疑応答です.
副査2人,副審査委員2人ですが,副査の先生は論文に関係のある分野の先生,
副審査委員の先生は,分野に関係なくその年度に指名されていくつもの公聴会で審査をされる方となっています.
 質問は副査→副審査委員→学外から招いた当該分野の専門家→私の研究室の客員教授の順に行われました.
質問は簡単に答えられるものが多かったのですが,いくつかシビアなものもありました.特に,厳しい質問をしそうだと予想していた2人は,ほんとに厳しい質問でした.
 ここまでで大体予定通り50分経過していたので,もう終わりかなと思っていたら,指導教授の他に何か質問のある方?という問いかけに私の会社の顧問からも質問を受けました.
私の分野の研究者なら常識みたいになっていることをご存じなかったらしく,それについて非常に興味を持っておられました.
 結局,公聴会自体は予定を約10分オーバーした,160分(2時間40分)で終了しました.割と和やかな雰囲気を維持できたのは良かったと思います.
 
 
公聴会の後は,来ていただいた方々に挨拶する間もなく,別室にて学力審査がありました.
これは,副査の先生2人から論文の内容や物理全般について色々と質問され,それにきちんと答えるというものです.
あと,裏の意味合いとして,
「博士号取ったからといって,これがゴールじゃない.それどころかこれからがスタートのようなものだ.
もっと研鑽を怠らないよう,自分の知識や能力がまだまだなものだと認識しろ」と言うことを痛感させるものらしいです.
つまり,ひたすらいじめられるということです.実際,意表をつかれる質問とかありました.
 一応,学力審査も無事終了して,その後は客員教授の手配してくれた新田辺の居酒屋で慰労会でした.
会場に移動してる時や食事の最中に,指導教授から「良い公聴会だった.みんな退屈してなかったし,質問が多かったのは内容をきちんと理解してもらったからだ.うん,良い公聴会だった.」と言っていただけたときには,本当に嬉しく,これまでの苦労が吹き飛んだような気がしました.
 実際に学位審査の合否が出るのは2月の中頃で,学位授与は3月22日になりますし,博士論文の修正や印刷製本もありますが,まずは一息というところでしょうか?

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公聴会当日は,いつも大学に行く時間ではなく,平日に会社に行くために起きる時間に目覚ましで起こされました.もちろん準備のために自分で設定したのですが.前日は2時半くらいまで発表用パワポの修正をしていたので,3時間くらいしか寝てません.まぁ,博士課程に入学してからどんどん普段の必要睡眠時間が短くなっているので,1日くらいならこんな睡眠時間でも平気です.(あー,睡眠時間が短くなったのは歳のせいとは云わないでください.)
6時前に起床したので,当然途中で腹が減るだろうし,公聴会の頃のエネルギー源になるのは朝ご飯なので,たっぷりと朝食を取りました.まぁ,自分で好きなものばっかり作ったんですが.(同居中の母は半月くらい前にぎっくり腰になって,あまり動けないand父はご飯を炊くくらいはできるが料理は基本的にできない.なので,私が割りと炊事をしています,最近)
きちんとスーツを着て,襟には大学のバッチもつけていつもの時間より1本遅い電車で大学に向かいました.
京都駅を経由して近鉄・新田辺に着いたのは8時少し前.JRと近鉄の中では質疑応答時に使えそうなパワポのファイルを作っていました.新田辺発8時のバスに乗り,大学に着いたのは8時15分くらい.研究室に着いたら,M3の学生が1人泊り込んでたらしく机に向かっていて,もう一人M2が椅子を並べて寝ていました.まぁ,この時期の大学の研究室なんてこんなもんです.私も自分の机に向かってパワポ作りを再開します.結局質疑応答用に作ったパワポは14ファイルで計60ページになりました.発表用の92ページと合わせて152ページとは….結構作ったものです.(実は,質疑応答用のパワポは細かくファイルを分けたので総ページがどれくらいになったのか数えてなかった.この文章を書くために調べたんだけど,いや,我ながらほんとよく作ったよなぁ)
昼食は学内のうどん屋で軽めの定食.食事が終わって研究室に帰る前に理工学部事務室のある建物に通りかかったら,入り口に公聴会の案内が割りと大きく張り出されていました.立て看板の少し下のほうになってるのは,半月前に行われた別の研究室の2件の博士論文公聴会の案内がこの上に書いてあったからだと思います.学生に聞いたら,この張り紙自体年明け早々から張り出されていたそうです.おそらくこういう案内はあるだろうと思って準備していたカメラで写真を撮ってもらいました.顔は勘弁ください.
 
コーヒーなどを飲みながらまったりしていると,土岐の核融合科学研究所から公聴会に参加してくれるN博士が,研究室に来られました.彼と少し話していると指導教授からそろそろ公聴会会場の設営をしろとのお達しがあり,会場となる輪講室の机を並び替えたり,プロジェクターや演壇の準備を修士の学生と2人でしてました.実は,修論の提出日が私の公聴会の翌々日で,M2は私の下以外は修論手直しで必死,M1は就職活動でほとんどいないという状況なので,自分で動くしかなかったんです.一応準備も終わり,Hand outも入り口近くに用意し終わったあたりに,会社の技術面での顧問と開発Grの主任が現れました.確かに私がお呼びしたのですが,それでも40分も前に来られるなんて,少し早すぎないですか?
結局会社関係の人が割りと早い時間から来られたので,最後の練習ができないまま,公聴会本番を迎えることになりました.

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昨日も書いてましたが,とりあえず1/30に公聴会が終了しました.
さすがに,公聴会前はブログを更新する余裕を完全に失っていました.
まぁ,以前からかなり間が開いたりもしてましたが(^^ゞ
ま,ぼちぼちと博士論文提出後の事を書いていこうと思います.
博士論文を提出したのが11月の末.
その後,すぐに公聴会の準備にかかればよかったのですが,仕事の方が忙しくなったせいでなかなか手を付けられませんでした.
12月の後半は,親会社と大学の技術懇談会や,フィリピンからの留学生の工場見学の件なんかでバタバタして,結局じっくりと公聴会の準備に取り掛かったのは正月からでした.
とりあえず正月の4日に,こんなデータを使ってこういうシナリオで発表しますと言うことが判るような簡単なパワポを作って大学に持って行って指導教授に見てもらいました.
で,色々と指摘を受けて,一番最初の練習は1月11日.
実は1月5日から10日までずっと夜勤だったので,世の中は休日(成人の日)の11日と言うことになりました.
ここで初めて通して発表をしたのですが,時間が足らなくなりそうだったので1つのセクションを飛ばしたのにもかかわらず発表時間は105分….
かなり指導教授から追加のパワポを作るように言われたのもあり,シナリオをもう一度練り直して,論文の最終章を完全にカット.
まぁ,この章は少し毛色が違うので公聴会で話をするとテーマがぼやけるということもあったので….
その次の練習は1月16日.この時の発表所要時間は90分.まぁいい感じに収まってきました.
そして3回目の練習が公聴会1週間前の1月23日.この時は,その前よりも2枚ほどパワポが増えて結局92枚を94分で発表しました.
まぁ,3回目の練習なのでかなり早口でしたし,公聴会当日は100分くらいになるんじゃないか?という評価を指導教授から頂いていました.
4回目の練習もしたかったのですが,実は公聴会直前の1週間風邪を引いてしまって寝込んでました.
金曜日に,さすがに体を動かさないと駄目だろうと思って,熱っぽい体に鞭打って会社に行って,煙草休憩のときに大学に電話したら
「アンタ何考えてるんや! Handoutつくらなアカンやろ!いつ来るんや!」と怒られたので,「はい,今日6時過ぎに行きます~」と返事….
定時で上がって急いで大学に行き,指導教授と2人だけで輪転機でモノクロのHandoutを印刷しました.
残念ながらソーターが無かったのでステープラー留めをする時は,私の下のM2を研究室から呼び出して手伝ってもらいましたが.
とにかく92ページを片面4ページで印刷したので23ページのHandoutを20部何とか用意しました.
副査・副審査委員の教授陣には,カラー片面2ページのものを会社で印刷しておきました.
これで一応準備は終了.後は翌日の本番を待つのみです.

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昨日,1月30日に,私の博士論文公聴会が開かれました.

公聴会自体は2時間半の予定となっていました.
2時間半(150分)の時間配分は,発表100分/質疑応答50分と指導教授に言われていました.
発表はほとんどぴったりの100分で終了しましたが,質疑応答は予定を10分近くオーバーしました.
まぁ,別に質問に答えられなかったということではなかったので,和やかな雰囲気でした.
その直後に部屋を変えて学力審査という面接試験がありました.
これは主査副査あわせて3人の教授から,いろいろと論文の内容やそれ以外の工学全般について質問されるのですが,
うちの大学では,「博士号を取ったからと言っても,まだまだ自分の能力は足らない.もっと勉強し続けなければだめだ」
と思い知らせるために,思いっきり受験者を凹ませるものだと聞いていました.
実際,副査になっていただいた私のいる研究室の次席教授からはいろいろと質問されました….
ま,一応無事に終了したといってもいいんじゃないでしょうか.
居酒屋での打ち上げでは指導教授に
「うん,いい公聴会だった.あれだけいろいろ質問や議論ができたのは,皆退屈せずに最後まで聞いて,中身を理解できたからや.」
と言われて,ほっとしました.
公聴会には,会社から5名も参加いただけましたし,学外の専門家として,はるばる遠い六ヶ所から来てくれたS博士,
翌日デンマークへ学会参加されるのに土岐から来てくれたN博士,他にも2.3人ほどのおそらく博士課程の学生と思しき方々,皆様ありがとうございました.
主査,副査,副審査委員の5名の博士後期課程教授の皆様にも心からお礼を申し上げます.
さて,公聴会の準備でばたばたしていて更新ができませんでしたが,公聴会準備について明日以降少しずつ書いていこうと思います.

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今年もよろしくお願いします.
 
さて,前回の記事以降のトピックスをいくつか.
 
合同技術懇談会の2日後,私の勤める会社で工場見学がありました.
会社に対しては修士1回生達の就活という説明をしましたが,
本当はフィリピン大学から短期留学してきていた娘への,
研究分野(そのものではないのですが)技術の産業応用の現場を見せること.
このことを歓迎会のときに指導教授に頼まれたので,言い訳用にM1に声を掛けつつ会社とも交渉して準備してました.
 
私のいる工場は,最寄り駅からはちょっと歩く上に,その道がわかりにくい.あるいは別の駅からのバスが工場の前まで来てるけど,結構本数が少ない.
どちらがいいか悩んだのですが,結局迷いそうに無いルートのバスの到着時間がちょうど都合が良かったので,大学からのタイムテーブルを送っておきました.
 
見学は日本人4人とフィリピン人1人.
まずは会社全体の説明と作ってる装置の説明.
ああ,フィリピン人がいましたから説明は当然全部英語.
準備してる時間がなかったので,営業技術が最近海外に売り込みに行ったときの資料をそのまま流用しました.
自分が関わってる装置以外の,会社の概要やもう1つの装置の説明はさすがに簡単に済ましました.
日本人の学生は,目を白黒させていましたが….オマエラ,私の英語くらいちゃんと理解してくれよ….
その後はクリーン服に着替えて工場内の案内.
実際の装置を前に,色々と説明をしてました.
フィリピン大学の娘はそれなりに興味を持っていろいろ質問をしてきたので,
工場内でもいろいろ詳しい説明をしていたのですが,日本人の学生はほとんど黙ったまま.
俺が英語でしゃべってるからって,日本語が通じないわけじゃないんだから質問は日本語で構わないんだぞ?
と云っても,全然質問してきやがらない.どうやら英語が理解できてないようでした….
うーん,Micheleとは普通に会話できてたんだから,俺の英語はそんなに無茶苦茶なわけじゃないだろうし….うん,オマエラもっと精進してくれ.
 
そんなこんなで2時間の工場見学は無事終了.
この2時間,99%は英語だったな.疲れた~.
翌日大学に行ったところ,Micheleはえらく喜んでいたのでよしとします.
 
 
それ以外の大学関係の話題といえば,
博士論文の公聴会が1/30に決まりました.
会社の何人かにもお誘いのメールを出しましたが,多分2人も来ればいい方じゃないかと思います.
 
それと,11月に論文と一緒に出した研究業績一覧表にクレームが….
大学の発行している研究報告書に載った論文を(査読無し)のグループに入れていたら,
この研究報告書には査読がある!と怒った教授がいるとのこと.
まぁ,研究業績と言うのは査読論文の数なので,業績が減るわけじゃなく逆に増えるんだから博士論文審査には影響ないんですが.
しかし,この研究報告書,ほとんど素通しじゃないか.と思っていたら,どうも指導教授が過去何編かの論文をリジェクトしたことがあるらしい.
あぁ・・・・そりゃあかんわ.
と言うことで,19ページの研究業績一覧を作り直しました.
 
今は,家のコタツにもぐりこんで,公聴会用のパワポを作ってます.
明日(1/4)は大学に行って指導教授と打ち合わせです.
 

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先週の水曜日に,大学において,親会社との合同技術懇談会がおこなわれた.

私が今勤める会社は,某中堅電機メーカー(設備メーカーなので,地元を除いて一般の知名度はほとんどない)の子会社.
その親会社と大学が年に2回,それぞれの技術動向についての発表をおこなっている.
今回で5回目.実際には5月に実施されるはずだったのだが,新型インフルエンザに伴う休校処置で,1回中止となっていた.
今回は,私のいる子会社とは別の子会社の技術発表がメイン.
普通なら,今回私が参加する理由は無いんだが,実は研究室の修士が1人,来年親会社に就職する関係で急遽発表することになった.
でも,その修士の研究テーマは,今回中心の子会社とはほとんど関係ない.
そこで,親会社の幹事が発表予定修士のいる研究室と共同研究している私に白羽の矢を立てた.
直接親会社の幹事(親会社の技術研究所の主幹)から電話があったのだが,彼は単に私が共同研究者の担当としか知らなかった.
通常ならこういう業務は,年に2,3回大学に行くくらいで終わってしまう(共同研究費の額的にも).
彼からの電話は,私がどのくらいその研究室のことを把握してるのかを確認するような質問から始まったが,その後の懇談会の説明等々,5月の段階で充分把握している内容だった.ちょっと長くなりそうなので,自分が指導教授に誘われて現在社会人博士課程に在籍していること,平均すれば週に1回以上のペースで研究室に行っていること,etc.,を説明したら,今回の懇談会にぜひ参加して欲しいと要請を受けた.まぁ,うちの修士の発表を理解できる人間がいなかったせいなんだが.
懇談会は,大学学部の特別講義に指定されていたらしく,学部生が200人ほど集まる盛況な状態だった.
まず子会社社長のあいさつから始まった懇談会だが,次の子会社技術の発表をした人が予定時間を大幅に(10分くらい?)超過.
その次がうちの修士の発表だったのだが,ここでトラブル発生.
プロジェクタに繋いであるパソコンが,彼女のファイルを読み込もうとしたところでフリーズ.
まぁ,普通ならこんな大人数の前でこんなトラブルに直面したら,修士の学生ならパニック状態になってもおかしくないのだろうが,
この学生,慌てず騒がすこの状況に対処して,発表を始めた.もちろん途中から他の人の手伝いも受けていたが,終始落ち着いていた.
また発表も,時間が押しているのを理解しているためか少し早口だったが,特に問題なく終了.
まぁこの娘は,4回生の時,生まれて初めての学会発表でも同じようなトラブルに見舞われてそれを無事に切り抜けていたので,私なんかは「あぁ,この娘,この手のトラブルに縁があるなぁ.」くらいにしか思ってなかったのだが….
これを見ていた子会社の社長(彼は私の斜め前に座っていた)が,「いや,あの子,こんな状態であれだけ落ち着いてるとは…」
いや,あの娘,親会社に就職ですよ?あなたの会社には行きません…,あ,いや,こちらの子会社は人事関係は親会社と共通だったか….
あぁ,まずいな.要らぬところで要らぬ人々に才能を見せすぎたようだぞ….
次の大学側の発表は,まぁふだんから発表慣れしている教授だったので問題はまったく無し.
こうして,懇談会は無事終了した.
懇談会修了後,大学内の教職員ラウンジで懇親会(なんかややこしいな)
どっかからケータリングサービスとビールやワイン等も出て,和やかな雰囲気でおこなわれた.
上記発表をおこなった娘は,うちの会社関係者に次々と捕まっていた.ここでも子会社社長がかなり気に入った様子…南無.
ちなみに,この懇談会の大学側の関係者に,私の博士論文の審査副委員がいたので,私の指導教授も含めて博士論文公聴会の日程調整をおこなったのは,話のついでです.
あ,そういえば,フィリピンからの短期留学生もこの懇親会には参加していて私も少し相手していたのですが,そのときに副審査委員の教授が
「なんや,あんた,英語ちゃんと達者にしゃべっとるやないか.(以下英語)博士論文の公聴会も英語でするか?」とか言い出したときには,いやな汗をかきましたよ,ほんと.
まぁ,そんなこんなで無事終了したんですが,ちょっと問題が….
この合同技術懇談会,年に2回実施されると書きましたが,どうやら来年も継続される模様.
で,こちら側の責任者が私に,「次の5月は,君のところ特集でするからね.君のところの社長と常務にはもうOKの返事を貰ってるから」と云ってきた.
ちょっと待て,いいから待て.
今うちの会社で,技術関係の実務をしている我が校卒の人間は,私しかいないぞ? しかも,私はうまく行けばこの3月に学位をここから貰うんだぞ? まずい!下手したら,私が技術関係の発表をさせられるんじゃないか?(実際,今回時間超過した馬鹿も,うちの学校卒の先輩)
まぁ,発表は構わないんだが,邪魔くさいなぁ.
(と言うことを考えていたら,もっと怖い可能性に行き当たった.今年の5月の懇談会がインフルエンザで中止になってなかったら,今回がうちの会社特集.となると,うちの会社でかつ大学院生という立場の私に,発表の話が回ってくるのはほぼ確実だったわけじゃないか! あ,あぶねぇあぶねぇ)

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研究室には私の同期の博士課程の学生がいる.
彼は,フィリピン人.
フィリピンで修士まで取って,しばらく仕事してから,
指導教授の下で学位を取りたいと留学してきた.
 
実は,フィリピン人の留学生は彼で4人目?5人目?
博士課程の学生は3人目だったと思う.
 >残りは,数ヶ月くらいの短期留学.
 
で,先週からもう一人,ごく短期で留学生が来ている.
彼女もフィリピン大学の修士2回生.
 
土曜日に新田辺の鉄板焼き屋で歓迎会が行われた.
日本人は指導教授と准教授,後は,私と修士の学生が10人ほど.
店に着くなり指導教授が隅の4人掛けのテーブルを確保して,
2つは留学生,1つは自分で,残りの席には私に座れと….
 
えっと,ワターシ,ニホンゴシカワカリマセーン(;_;)
いや,まぁ,たぶんこの日本人メンバーの中では,指導教授の次に喋れるのだろうけど.
でも,指導教授は普通のネイティブ以上に喋れる人なので,その落差があまりにも大きいのでこれっぽっちも自信なんかない.
 
歓迎会の間は,やっぱり少しおいてけぼりだったかもしれない.
フィリピン大学の教授とか知ってるひとはいないな,さすがに.
そんな人たちの近況とか話されてもついて行けない.
 
歓迎会も終わりに近づいて,みんな席を離れて歓談してるときに,
指導教授がぼそっと私に言ってきた.
「アンタが,もう少し忙しくなかったら,フィリピン大学まで学生の指導に行ってもらうんやけどなぁ.」
「?…はい?!何ですか,それ?」
「あんたくらい実力のある奴に,ほんま行って欲しいんやけどな」
「(いや!いやいやいや!そんなん無理ですって!)は,はぁ?」
 
実は,私の指導教授は何年か前にフィリピン大学に短期間研究指導に行ってたことがあって,
 >まぁ,その関係でフィリピン大学から次々と学生が来ている.
どうやら,その時に指導教授を招聘したフィリピン大学の偉い教授がそろそろ定年らしい.
半年くらい前にも,「学位取ったら,フィリピン大学でXX教授のあとってのはどうや?」と言われたこともあるんだが….
いやぁ,さすがに英語の能力が…(^◇^;;
 
指導教授の跡継ぎはもう決まってるので,母校には帰れないのはわかっているんだが,
 >元々,能力的な問題もある
それでも,そんな風に言って貰えるのはうれしいものです.

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